星野友昭

ほしの ともあき

代表取締役

1978年10月28日
東京都荒川区生まれの東京都足立区育ち。

血液型:B

趣味:歌うパパ、歌うこと、弾き語り、作詞作曲、ビジネスを考えること、ひなたぼっこ、お酒。

特技:貴重品探し、家具解体、積込み。

将来の夢:ヴィジョンを1つずつ形にしていき、頭の中にあるものを全て現実にすること。

座右の銘:Dream come true ♪

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星野友昭の歴史

17才の時に映画「カクテル」のトムクルーズに憧れて、バーテンダーになりたいと思いました。

地元の高校を中退、六本木レストランバーアルバイトバーテンダーの道を目指しました。

バーテンダーとして仕事をしていると今度は自由に自分のお店を持ちたいと考えるようになりました。


資金を稼ぐためにお金が稼げる仕事を探し、選んだのがキャバクラのボーイでした。

お昼ごろ出社して、営業が終了するのは真夜中の2時過ぎ、過酷な労働環境でしたが、睡眠時間を削って練習にあてショーのバックダンサーをしたり、お店の経営マネージメントなど色々な事を学びました。

二十歳の頃、自分のお店は持ちたいが、経営が良い状態でないと面白くないと気付き、お金持ちになってから、余裕を持って自分のお店を経営したいと考えるようになりました。


その後は父親がやっていた注文家具の仕事を手伝いながら、

暇な時期は色々なアルバイト(飲食店、肉体労働など)をしたり、本を読んだり、

自分のビジネスを考えるようになりました。


今までに考えたビジネスとしては海の家は場所探しから、内装、メニュー作り、資金計画、他店との差別化など、計画をしました。

ワンコインで温かいみそ汁付きお弁当屋さんでは、母親に協力をしてもらい20食限定で販売しに行きました。

男性に特化したポータルサイトではアフィリエイトを使い、月商500万円達成、飲食店へ誘導する広告で100件を超える予約が評価され報酬とは別に温泉旅行のチケットをプレゼントされました。(このチケットは両親にプレゼントして数少ない親孝行です)


25才の頃、親知らずが痛くて歯医者に駆け込みました。

その時、受付におられましたのが今のカミさん家内になります。

2年程お付き合いした後、27才の時に結婚しました。


その後もベースは父親の注文家具を手伝いながら、

色々な職を短期間、経験(ネットショップ運営店長など)しながら、自分の道を模索。


夫婦で出来るビジネスとして考えたのはジュエリーブランドを立ち上げることでした。

そしてオンラインショップのチャームジュエリー屋さんを作り、

オリジナルのデザインをしたチャームやネックレスを販売しました。


20代後半、父親も60代、営んでいた注文家具の仕事は、納期に追われ、それに間に合わせるために2~3日徹夜をしなければならないこともあり、体力的に厳しく、経営資金繰りにも苦しんでいました。

ある日、ふと氣付いたのですが父親の会社を畳んでしまった方が家族みんなが幸せになれると思いました。

もちろん独立して17年間頑張ってきた父は簡単には首を振りませんでした。

その後も何度か父親には撤退の話しをしましたが、聞き入れてはもらえませんでした。

毎日、大変な中、出来る限り「父親の負担を減らしたい」と本氣で思い、自分が先陣を切って頑張りました。

共に戦い、数々の修羅場を越えていきました。

そんなある日、会社で徹夜した翌日の朝、父親と母親がきて「会社を撤退しよう」と言われました。

撤退を決めた理由はせがれである自分と家内が、そのことで夫婦喧嘩をしてしまうということでした。

撤退を決めてからは弁護士さんにご依頼して、短期間で無事に会社を畳むことが出来ました。

父はその後、小学校などの主事さんを管理されている会社に入り、学校の掃除や壊れたモノの修理、主事さんの管理などマネージメント業務もして活躍しました。


和多志は20代最後の挑戦と思い、職を探しました。

過去に経験のあったオンラインショップ運営や、

一度は経験しなければと思っていた営業職を経験しました。


30代になり、子供はまだいませんでしたが(家族を養うほどは稼げていませんでした)、

子供を作って家族を養うために地元のゴミ屋さんに転職します。

夜中の3時半に出社して夜の18時過ぎまでの長時間労働でしたが、

収入はサラリーマンよりは良く、安定していました。


ここからゴミ屋さん物語が始まります(笑)

その後、大小合わせ4社のゴミ屋さん経験します。

汚泥の臭いを嗅ぎながら、パッカー車の中でお弁当食べたり、

バカみたいに重たいガラを4t分手積みしたり、

楽な機械積み現場で一日に何度も往復して歩合で稼いだり、

以外にもトラックやアームロール、パッカー車の運転、ゴミの積込みや仕分け作業、

ハードなところはありましたが、自分には合っていました。

比較的に高収入安定していたため、その間に可愛い子供達一姫二太郎を授かりました。


ゴミ屋歴10年を越えて、家族を養いながら、自分ビジネスを探していました。

氣が付けば自分も40代、残り半分しか人生は残っていない。

そう思った瞬間にそれならば残りの人生

思い切りやりたいことをやらなければ損だと強く思うようになりました。


もちろん、最後のゴミ屋さんでは役職を頂けたり管理職だったため、収入も悪くはありませんでした。

しかしこのままではいけないと考えるようになりました。

当時、勤めていたゴミ屋さんの中で新しい事業部を立ち上げたいと提案していたのですが、

中々通らず、だったら自分で会社を興して勝負するのも有り、

早速、家内に相談したら、ゴミ屋さん10年やったこともあり、何とOKの返事。

それならば早く勤めている上司にお伝えしようと翌日お話ししました。


詳しい話しは省きますが、お話しした翌日には自由な無職になっていました。

まずは事業計画を作り、融資を受けて、会社を作ろうと思いました。

数か月間、準備して、ユニフォームも作り、株式会社538のテーマソングも作り

中古のトラックを購入、もちろんナンバーは538です。

そして資本金100万円会社設立

株式会社538の誕生です。(読み方を知らない方はこちらをご覧下さい

ここから無限の可能性の毎日がスタートしました。


結果的には会社設立後、収集運搬許可を取得念入りな事業計画をこしらえて、

満額融資を受けることが出来ました。

(これは自分のやってきたことが認められたような氣がして、本当に嬉しかったです)

ここでゴミ屋さん歴10年の経験が活きました。


株式会社538のWEBサイトを作ったり、名刺やチラシを作ったり、降ろし場探し、まずはやるべきことをやり、

エンディング産業に行ってみたり、不動産業の交流会に参加したり、チラシ配りをしたりしました。


はじめての自社案件不動産業者の方からの大田区のワンルームマンション、

通常の残置物撤去と思いきやまさかのかなり臭いが強めな特殊案件でした。

部屋の中で仕分け作業、搬出の段取りをして、1人で運び出し、2tトラック山盛り1台分、

10時からスタートして20時まで、10時間ノンストップで頑張りました。


自社案件がない時同業さんのお手伝いに行きました。

たくさんの同業者さんとつながることが出来て、

今だにお付き合いがある業者さんとのご縁に感謝しています^^


2024年10月14日現在、会社は3期目に突入しています。

今まで数十の自社案件をやらせて頂いています。

しかし、まだまだ暇な時期もありますので、

ご相談、お見積もりお待ちしております!


そしてこのストーリーには続きがあります。

株式会社538が今後どうなっていくか?

ということも1つですが、和多志にはヴィジョンがあります。

「ただのゴミ屋では終わらない」

どんなヴィジョンかは一つずつ形にしていきながら、

お伝え出来たらと考えておりますので乞うご期待下されば幸いです。


長い文章にお付き合い頂き、誠にありがとうございました♪

お読み頂いた方とも良きご縁になればと思いますので、

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

           株式会社538 代表取締役 星野友昭


株式会社538東京都足立区にあるプロのお片付け屋です。

遺品整理生前整理残置物撤去などの
お片付け専門に行っております。


お片付けご相談お見積もりは無料です。

お気軽にご相談下さい^^


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